沈む

Dream Field

Dream Field

私は知っているあの町の灯りを。
そこにはもう戻れないことをしっている。
金の灯りが暗い海に落ちている。
波が寄せてくる。
音が聞こえない。
二度と、もう二度と――ない。巡り逢うことはできない。
分厚い闇を孕んだ波のそこにあの優しさ想う。なにがそうさせるのか。
闇が悲しみもない深い眠りに誘うからなのか。
この岸辺から辿り着ける岸辺を想うことなんてない。
その波の底を覗こうとすることは、まるで目を閉じているような気持ちにさせる。
私たち――私と他の誰かの波――それはあったのだ。
でもあの日の波はもう海の底。寂しさも悲しさも深い海の底。
それは蒼い夢を見て眠っているのだ。深い海の底で。
其処はまったくの闇ではない。暗黒ではない。なぜなら怖くないから。蒼いのだ。きっと。
私は其処を覗こうと波の底に目を凝らす。それは目を閉じているような、そんな気分にさせるのだ。
音もなく、波は寄せて、海の底へと帰っていく。
二度ともう巡り逢えない、その波を想う。その波が帰っていった、深い深い海の底を思う。

  • 追考

海の底には当然のことながら誰もいない。
海の底を想う時、その主観者たる人の気持ちは独りだ。
実際の海の底は、まったくの暗黒なんだろうけど、人が想う海の底は、その人の主観に照らし出されるから、暗黒ではない。何かが見えていて、その人が見える色があるはずなのだ。
其処では音楽も聞こえるかもしれないが、僕は無音だと思った。音がないことが包まれていることの、海に抱かれていることの安らぎや孤独を浮かび上がらせると想うからだ。分厚い闇と海水に守られているような気分になるだろう。現実や怖いものから完全に隔離された安息感を抱くだろう。優しい絶望というのが適当とは思わないけど。
一方、そんな海の岸辺に立つことは、黄昏の海に臨むことは、現実と海の底の狭間に立って、どちらにもいない不安定な状態だ。それは過去を想うことだろうか。寄せては返す波というのは永遠のループともとれるけど、ここでは二度と戻らないものとして捉えられる。あの波は、海の底へと帰っていったのだ。その波に何を見出すか。その波を「二人の」という時、そこには様々な想いが込められる。
黄昏が終わり、岸辺に闇が来て、遠く街の灯りをその背中に感じるのは、現在に在って過去に身を置く者に人のぬくもりへの恋しさを思い出させるため。
でも自分が本当に欲するそのぬくもりは海の底にあるのだ。